プロジェクトX 感動回「極寒南極越冬隊の奇跡2~南極観測・11人の男たち」の感想レビュー
今回は、プロジェクトX「極寒南極越冬隊の奇跡2~南極観測・11人の男たち」のレビューです。
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この回について
敗戦直後の昭和31年「日本に南極に行く力はない」と言われていた中で、日本中の千を超える企業の力が結集し、観測船「宗谷」に乗った南極越冬隊が、初の南極観測を行った戦後最大の一大プロジェクト。
流氷の分厚い氷に行く手を阻まれながら南極に近づく「宗谷」
流氷が割れず進まなくなった中、ダイナマイトで流氷を爆破しても進まない、手ごわい流氷。
苦難の末にやっと到着した南極に降り、そこに昭和基地を作り、そこを拠点として観測隊が観測をするという物語です。
南極は、1月と2月の間の1か月しか夏と言われる季節がなく、他の時期は、冬・厳冬と呼ばれる時期が続くようです。
初の南極生活で、様々なトラブルに見舞われながらも、困難を乗り越え、挑戦する越冬隊に心打たれるストーリーです。
副隊長 西堀榮三郎氏について
今回の主役である、南極越冬隊の副隊長で「探検のカリスマ」と呼ばれた西堀榮三郎氏
学生時代に日本に来ていた、20世紀の天才科学者アインシュタインの通訳として、3日間付きっきりで案内したという貴重な経験を持つお方。
元東芝の技術者で、日本で初めて真空管「ソラ」を開発した天才技術者の顔も持つ。
さらに、「雪山賛歌」という名曲の作詞を学生時代に行っている。多彩の才能を持っている方。
南極越冬隊の副隊長として参加したのは、なんと53歳。
最高のリーダー!西堀榮三郎氏の挑戦し続ける生き方
53歳で、日本初の南極越冬隊になる。
南極について船が1度帰り、次に来るのが1年後なのに、
南極に残って、越冬観測をしたいと申し出、越冬隊員のリーダーとなる。
南極の食料置き場であった場所の流氷が割れ、食料の3分の2が海に流されてしまいました。
越冬隊員たちが、絶望を感じていた中、西堀氏は、一人銃を持って、アザラシやカモメを狩り、食料を獲得。
十分な観測機がない中、タバコの缶などを使用し、手作りの観測機で観測を始める。
十分な環境や物が揃っていない中、知恵を絞り、今ある環境の中でできる事を行い、とにかくやってみる大切さを隊員に伝え、隊員達の挑戦する心に火をつけた。
北村泰一さんが、観測中、火事を起こしてしまい、観測機などを全焼させてしまったが、西堀氏自ら観測機を作成して渡し、「失敗したら、またやり直せばいい。」と励まし、「北村を手ぶらで返すわけにはいかない。」と落ち込む北村さんの背中を押した。
さらに、70歳で、ヒマラヤ登山標高隊の総隊長を務め、5000mを自力で山頂まで登った。
その後、晩年は、私財で船を造り、海洋研究をつづけた。
どんな逆境な状態、無謀と思えることにも、まずはやってみる事。
状況が整ってからという考えではなく、今できることで始めて見る大切さ、
失敗しても、またやり直せばいいという大きな心を持つ、
リーダーとして、とても尊敬できる方です。
私の心に響いた言葉
「とにかくやってみなはれ。」
「自分をさげすむな、落ちこぼれ程、強いんだ。」
「やる前からダメだとあきらめる奴は、一番つまらん人間だ。」
「火事ぐらいでくじけるな、失敗したらまたやり直せばいい。」
「決してあきらめるな」
越冬副隊長の西堀榮三郎氏の言葉。
「誰もやったことのない、新しいことをやりなさい。一番大事なのは、まずはやってみる勇気なのだ。」
通訳として日本を案内した際、アインシュタインが、高校卒業後の進路に悩んでいた西堀氏にに、伝えた言葉。
「何かをしたいという情熱があれば、努力ができる。」
勉強が苦手で就職ができず進路に悩んでいた中で、越冬隊経験で見つけた「オーロラの研究」で、帰国後、世界の権威にまでなった北村泰一さんの言葉。
感動のシーン
スタジオに出演した、越冬隊員の一人の北村泰一さんが、西堀氏にかけられた言葉を思い出して話している時、感情が溢れ涙が止まらくなったシーン。
見ているこちらも、涙が溢れてくる感動のシーンです。
隣に座っていたもう一人の越冬隊員である作間さんが、北村さんに寄り添い優しい言葉を掛けるシーンに、心が温まります。
プロジェクトX「極寒南極越冬隊の奇跡2」を見る方法
プロジェクトX「極寒南極越冬隊の奇跡2」の回が見れるのは、現在DVDだけとなっています。
プロジェクトXのベスト盤といえるスペシャル回の「リーダーたちの言葉」でも、この回が取り上げられており必見です。この回も、現在DVDだけで見れます。